From:堀口寿人
金沢の自宅事務所より
共感とは、ザックリ言うと「相手と同じ気持ちになる」という意味だ。
ただ言うは易しで、そんな単純な問題でもない。
というのも、例えば、同じものを見ても人それぞれ感じ方が違うからだ。それなのに、共感したつもりになって、相手に不快感を与えていることがよくある。
今回は、そういった共感の落とし穴も踏まえたうえで、本当の意味で共感とは何かを具体的にお話していきたい。
共感の意味とは?
まず、さっきの「相手と同じ気持ちになる」という共感の意味をもう少し深く考えてみよう。
最初に、共感の意味を理解するためには、主観と客観という2つの意味を理解しておく必要がある。
言葉は難しいが、内容はそんなに難しくない。
例えば、あなたと僕がカフェでお茶を飲んでいたとしよう。
そのとき、外を見ると雨が降ってきたとイメージして欲しい。
「雨が降ってきた」ということはあなたにとっても、僕にとっても紛れもない事実だ。これが客観だ。
客観的に見て、「雨が降ってきた」のだ。
ただ、その雨を見て思う事は、あなたと僕とでは違う。
もしかして、あなたは「さっきまで晴れてたから、もしかして虹が出てるかもしれないな」と思うかもしれない。
もしかして、僕は「傘持ってこなかったけど、どうやって濡れずに帰ろうかな」と思うかもしれない。
このときの
- あなた→虹のイメージ
- 僕→帰るイメージ
が、それぞれの主観だ。
だから、一つの客観に対して、主観は人の数だけある。
これを踏まえて考えると、共感の意味がよく分かる。
どういう事かというと、共感とは、相手の主観を自分の主観として理解するという意味なのだ。
例えば、さっきの例で言うと、
僕があなたに共感した場合
- あなた→虹のイメージ
- 僕→虹のイメージ
になるということだ。
これで、僕はあなたと同じ(※厳密には似た)主観的イメージを見ていることになる。
逆に、あなたが僕に共感した場合
- あなた→帰るイメージ
- 僕→帰るイメージ
になるわけだ。
これで、あなたは僕と同じ(※厳密には似た)主観的イメージを見ていることになる。
要するに、共感するとは、相手の主観に自分の主観を合わせることを意味する。
※主観的イメージは、それぞれの記憶が元になって作られる。人それぞれ全く同じ記憶を持つ人はいないので、厳密には全く同じ主観的イメージを作ることはできない。
これで共感については分かってもらえたと思う。
じゃあ、次は共感するためにはどんな力が必要なのかを理解しよう。3つある。
共感に必要な3つの能力
相手の立場に立つ
これは、「自分がもし相手の立場だったら」と自分を相手の立場にスライドさせる能力だ。
具体的に言うと・・・
- もし相手と同じ両親に育てられたら
- もし相手と同じ家に生まれていたら
- もし相手と同じ友達と接していたら
- もし相手と同じ感性を生まれつき持っていたら
- もし相手と同じ体験をしていたら
- もし相手と同じ病気を患っていたら
- もし相手と同じ成功を手にしていたら
のように、一場面ずつ自分を相手の立場に置いていくわけだ。
「もし・・・」と自分に問えば問うほど、相手の立場がよく分かるようになって行く。
相手の感情を推論する
そして、次のステップ。
相手の立場に立てたら、その立場で相手はどんな感情を感じているのかを推論する能力だ。
「きっとこういう状況だったら、こう感じているだろう」と推論するわけだ。まず頭で考える能力だ。
相手と同じ感情を感じる
さらに、推論した感情を感じる能力だ。これには感性も必要になる。
ここで、あなたは「感情を推論するのと、感情を感じるのは同じ能力じゃないか?」と思うかもしれない。
でも、それが違うのだ。
参考までに僕の例を聞いて欲しい。
僕は、心理学を学び始めてすぐのころ、もうすでに相手の感情を推論することは得意だった。俗に言う、「相手の気持ちがよく分かる」というやつだ。
一方で、感情を感じるのはとても苦手だった。
というのは、僕の育った環境に関係している。
僕は第一子ということもあり、父は厳しく育てたかったらしい。
そのため、僕は親から(とくに父から)突き放されるように育てられた。父も意図的にそうしたと僕に言っていた。
その影響で、僕はとても自立した性格になった。でも、同時に感情表現が下手になった。
だから、相手の感情を推論するところまではできても、どうしてもその感情を感じることはできなかったのだ。
実を言うと、今でも相手の感情を感じるのは苦手だ。心理学のトレーニングのおかげで、大分マシにはなったが・・・。
共感能力はトレーニングで身につく
今僕の話でもあったように、これらの3つの能力は、トレーニングによってどんどん高まっていく。
というのも、僕たちは、生まれた時相手の立場どころか、自分の立場すらよく分かっていない。
例えば、スプーンで食べるとき、自分の口の位置がどこか分からず、ほっぺたにベチャっとつけたりしてしまうのだ。
信じれないが、僕たちはそういうところからスタートしている。
それで、成長して、何とか自分一人の立場は理解するようになる。そうしないと生きていけないからだ。
でも残念なことに、自分の立場を理解して、生きていけるようになった僕たちは、それ以上の成長を怠ってしまう。
だからいつまでたっても、僕たちは自分の立場にこもっているわけだ。トレーニングしない限りは!
どれだけ歳を重ねても、自分の立場からしか見れない人が、あなたのまわりにもいるはずだ。
共感する能力は歳を重ねても身につかない。日常の人間関係の中で意識的にトレーニングしよう。
最後に、共感の落とし穴について、ぜひ知っておいてほしい。
これを知っていないと、共感しているつもりなのに、なぜか人が離れて行ってしまう。
共感の3つの落とし穴
きっと相手はこうだと決めつける
「あなたは絶対こう思っているはず」と決めつけて、その前提で話を進める人がいる。
それは、共感ではなく裁きという。
共感はあくまで主役は相手だ。その主役に自分は付き添うだけだ。
一方で、裁きは自分が主役になろうとする行為だ。
裁判官をイメージして欲しい。
裁判官が「死刑」と言ったら、被告が何を言おうと死刑なのだ。裁判が下った後、被告が何を言おうともう無駄だ。裁判では裁判官が主なのだ。
じゃあ、あなたは日常的に裁かれたいだろうか?
きっと、答えは「No」だろう。
だとしたら、相手も裁かれたくはないのだ。共感と裁きを混同してはいけない。
相手と同じように苦しむ
さっき、共感には「相手と同じ感情を感じる能力」が必要だと話した。
だから、今回の内容は矛盾しているように感じるかも知れない。
でも実際は矛盾していない。
確かに、相手と同じ感情を感じるところまでは同じだ。
ただ、なぜ共感には「相手と同じ感情を感じる能力」が必要かというと・・・
それは、相手の感情を体験を通して理解するためだ。「ああ、なるほどこういう感情を感じていたんだな。」というふうに。
決して、同じ感情を感じて、自分も同じように苦しむためじゃない。
相手の苦しみと同じように自分が苦しんだとしても、それは被害者が一人増えるだけの話だ。何の解決にもならない。
共感とは、相手の気持ちを楽にし、相手を幸せに導くためのものだ。
例えば、人が川の流れに押し流されているのをイメージして欲しい。
その川は感情という名前の川だ。
あなたは、たまたまその川のそばを通りかかった。すると、誰か川の流れに押し流されている。
あなたは、その感情という川の中に急いで飛び込んだ!
ここで、2つの選択肢がある。
- 押し流されている人を引き上げ、救ってあげる
- 一緒になって押し流される
もちろん、共感とは1番のイメージだ。
形だけの共感におぼれる
大げさな相槌を打ったり、表情をわざと作ったりして、自分は共感していると思い込むパターンがこれだ。
あたかも「自分は共感してますよ!」とアピールするためのパフォーマンスのような感じだ。
この場合共感とは言わない。エゴだ。
共感している自分に酔っているだけなのだ。「こんな自分優しいでしょ?」っていうように。
もちろん、相槌や表情がダメなわけじゃない。むしろ、共感には必要なものだ。
問題は、その相槌や表情が本心からのものか、偽りに作られたものかがポイントになる。
そして、相手もそれがよく分かるのだ。
自分のエゴのために、共感を利用するのは止めよう。誰のためにもならない。
まとめ
共感とは、「相手の主観に自分の主観を合わせること」だ。
それは、自分のエゴから来るパフォーマンスではなく、優しさからくるものでないといけない。
共感に必要な能力は次の3つだ。
- 相手の立場に立つ
- 相手の感情を理解する
- 相手と同じ感情を感じる
共感の落とし穴は次の3つだ。
- きっと相手はこうだと決めつける
- 相手と同じように苦しむ
- 形だけの共感におぼれる
何はともあれ、やっぱり人は「分かって欲しい」のだ。
この意見にあなたも共感してもらえるだろう(笑)
コメント歓迎
今回の共感というテーマについて質問したいことがあれば、ぜひ下からコメントして欲しい。
- 共感の意味が、よく分からない
- 共感の意味が頭では分かるが、腑に落ちない
- 共感の意味について、もっと詳しく知りたい
など、気になることがあれば、気軽に聞いてもらえたらと思う。具体的な質問に関しては、他の人にも共感してもらえるように、できる限り具体的にお答えしたいと考えている。
もちろん、記事を読んだ感想も大歓迎だ。
初めまして
私はこの20数年間の間妻にモラハラをして来ました。妻にある日激しく詰められて最近やっと自分がモラハラ加害者だったと気づきました。いくら謝っても何が悪かったのか分かって無いとずっと言われ続けています。共感せずにただ悪かったねと謝っているに過ぎず、自分が楽になるための謝罪は通用しないと。
私が犯人の場合、共感すると第三者的、他人事のように思われてしまうのでは無いかと思うのですが違うのでしょうか。犯人が被害者に共感するとはどういう事なのでしょうか。毎日が苦しいです。妻も長年苦しかったとは思っています。。
共感とは、あたかも相手と同じ立場に立ったように、相手の気持ちを感じ取ることです。
とは言え、どこまで行っても、相手と全く同じ体験をすることはできません。
ですから、相手の気持ちや体験を徹底的に聞くことで、「なるべく正確に追体験すること」というのが現実的な答えになります。
言い換えると、共感するには、その時々の相手の気持ちや考えを徹底的に理解しようと務める必要があります。
・その瞬間、その人はどう感じていたのか?
・その瞬間、その人は何を考えていたのか?
ということを、徹底的に相手に聞く必要があるのです。そうすることで、これまでとは違うレベルで相手を理解できますし、きっと奥様も「やっとわかってくれた」という風になるのではと思います。
初めまして。
私は周りに自分の機嫌をとれない人が多いです。
共感(よしよし)しても要求が終わらないどころか(ママのせいだと言うかのように)よりわがままになるのは違うものを求めているのでしょうか?
そうですね。まず、共感というのは「よしよし」とは、ちょっと違います。
よく混同されることなんですが。
共感というのは、その人が感じているままを感じ取るという意味ですね。まあ、実際はムリなんですけど、できるだけ理解できるようにつとめるという感じでしょうか?
例えば、「泥棒をしたい」という人がいたとしますね。共感とは、「いいねーやろうよ!」と同調することでもなければ、「やめなさい」と戒めることでもありません。
今その人にはどんな背景があって、どんな思考や感情がわき起こっているのかを感じるというのが共感になります。そこに、相手に対する評価とかコントロールは全くないわけです。
そのためには、
・今どんな気持ちなの?
・どう思った?
・私にどうして欲しいと思ってる?
のように、相手の気持ちを事細かに聞いてあげる必要があります。そうすることで、初めて相手の気持ちをあるがままに近い形で理解(共感)できるわけです。
自分が落ち込んでいたり、悲しい時、「大変だったわね!」と言われて、うれしかった。
悪意のある共感は、傷つくし、やめてほしい。
「大変だったね」、「それはずいぶん大変だったでしょう」
その、「大変だった」という言葉は、「共感してもらえている」と感じる、すごくよく効くビタミン剤のようなものだと思います
身内に不幸があった際、「気を落とさずに」、とかけてくれる方(言葉)もありますが、こちらも同じく
おそらく、「気を落とさずに」の前には「大変だったね」「大変だったでしょう」なのかな、と
決して押し付けでなく、その辛さ、痛みを分かってくれる、そしてソフトに慰めてくれてくれる、そういう言葉、そういう言葉を選んでくれる配慮
とてもありがたいですね