雑誌「わらいふ」に記事を寄稿しました

100年ライフを豊かに生きるための啓発マガジン、雑誌「わらいふ」が発刊されました。それに伴って、私も心理の専門家として、記事を寄稿させていただきました。

幸せの定義

モノではなく、悩み苦しみのない状態

「幸せとは何ですか?」と問われて、あなたは何と答えるだろうか。おいしいものを食べること、好きな人と一緒にいること、家族が健康で仲良く暮らせること、お金がたくさんあること―等々、思いつくことはいろいろとあるはずだ。しかし、「その答えが100%完璧な答えか?」と言われると、「ちょっと待ってくれ」と、途端に自信がなくなるのではないだろうか。

つまり、私たちは、幸せというものが何であるのか、実はハッキリとは分かっていない。それでも私たちは幸せを目指し、望んでいる、というのは確かなことだ。結局のところ、私たちは、漠然としか分からないものを日々追い求めていることになる。

東京駅へは行けても、“東”にはたどり着けない

 例えば、あなたが「東京駅へ行って下さい」と言われたとしよう。仮にもしあなたが東京駅に行ったことがなくても、地図や鉄道会社で調べるなりすれば、簡単にたどりつける。では、もう一つ質問。「東へ行って下さい」と言われたらどうだろう。地図を使っても、コンパスを使っても、ネットで検索しても、人に聞いても、どんな手段を使っても構わない。そうだとしても、はたして「東」へたどり着けるだろうか。

 答えは「たどり着けない」だ。なぜなら「東」という目的地は、余りにも漠然としているからだ。これと同じように、「幸せ」という目的地が余りにも漠然としていたら、そこにはたどり着けない。そこで改めて聞きたい、「幸せとは何なのか」と。

存在しないものの概念化は難しい

 「幸せ」という概念が分かりにくいのは、私たちは何か“存在するもの”を概念化しようとする癖があるからに他ならない。例えば“人間”、“車”、“本”、“肉体”などをイメージして欲しい。そういったイメージは、全て“存在するもの”を概念化したものだ。

 では、逆に「“存在しないもの”を概念化してください」と言われるとどうだろう?きっと戸惑うはずだ。“存在しないもの”をどう概念化すればいいのかと。

 しかしながら、私たちの身近には、“存在しないもの”を概念化している例もある。典型的なのが“健康”である。あなたは、「健康とは何ですか」と聞かれたら何と答えるだろう。多くは、病気がない状態と答えるのではないだろうか。学術的な細かい定義は他にあるだろうが、現実の生活から見れば、「病気のない状態=健康」という解釈で概ね間違いない。

人の心が繰り返す“ある”と“ない”

 健康とは病気がない状態であり、特定の“何か”がある状態ではない。幸せというものも実は、これと同じだ。幸せとは、“何か”がある状態ではなく、「悩み、苦しみがない状態」と言える。つい今まで幸せだったのが、次の瞬間イライラする時間が来る。そうかと思うとまた幸せな時間が来る。つまり、人の身体が、病気と健康を繰り返すように、心は悩み、苦しみが“ある状態”と“ない状態”を頻繁に繰り返しているのだ。言い換えると、私たちは、無数の幸せと不幸を日々体験しているのである。