From:堀口寿人
マインドフルネス瞑想日々実践中!
仏教は幸せの科学だ。
仏教の経典を読むと、何をすれば幸せになり、何をすれば不幸になるかが、具体的に書かれている。
ちなみに、補足しておくが、仏教と言っても僕たちがなじみある○○宗といったものじゃない。本当のお釈迦さまがいた時代に書かれた2500年前の初期の経典(厳密には少しだけ後)のことだ。
まあ、細かい事はさておき、話を戻そう。
仏教の経典には幸せになる方法が、具体的に色んな角度から説明されている。その中に一般の人に向けて説明された38の幸せになる方法がある。
この38の幸せになる方法を実践すれば必ず幸せになれる。
僕も実践の中でその効果を実感しているので間違いない。ということで38の幸せになる方法は次の通りだ。
愚者に親しまない
まず一つ目は愚者に親しまないということだ。
そう言うと、「愚者って何?」と思うかもしれない。そう思ったあなたは優秀だ。確かに、愚者って何かがハッキリしないと実践しようがない。
ここで言う愚者には、「真実を明確に理解できない人」という意味がある。例えば、世の中に善悪はないとか、正誤はないとか言う人がいる。でも、それは違う。
仏教では、幸せの原因や結果が善であり正しい。不幸の原因や結果が悪であり間違っている。そういうはっきりした定義がある。
もちろん、さらに「不幸とは?幸せとは?」という定義が必要だけど、ここで全部説明しきれないので、この「幸せとは何か?幸せの本当の意味を探る」を参考にして欲しい。
例えば、人助けするのは善だし、盗みをするのは悪だ。
もしあなたが人助けをすれば、相手もあなたも幸せになるのは簡単に想像できるだろう。もしあなたが盗みをすれば、相手もあなたも不幸になるのは簡単に想像できるだろう。
これは子供でも分かる事実だ。
でも、そう聞いても、まだ「盗みをしてもいいんだ」と思う人がいる。盗みをした後自分も人も不幸になるのは分かりきっているのに。
そういう人を愚者という。
つまり愚者とは、悪い種をまけば悪い実が実り、善い種をまけば善い実が実るという因果法則を理解できない人のことだ。
まとめると愚者とは次のような人だ。
- 自他の害になる(利益にならない)考えを持つ
- 自他の害になる(利益にならない)言葉を話す
- 自他の害になる(利益にならない)行為をする
賢者に親しむ
一方で、悪い種をまけば悪い実が実り、善い種をまけば善い実が実るという因果法則を理解して、善い種をまくことに一生懸命になる人がいる。
そう言う人を賢者という。
賢者は、あなたが悪い道へ踏み出そうとしたときに、それを防いでくれて、あなたの善い行いを応援してくれる。
具体的に言うと、次のような人だ。愚者の反対だから分かりやすいと思う。
- 自他の利益になる(害にならない)考えを持つ
- 自他の利益になる(害にならない)言葉を話す
- 自他の利益になる(害にならない)行為をする
賢者と親しむことで、あなたは安定的に幸せの道を歩んでいくことができる。
尊敬すべき人を尊敬する
あなたには、「この人みたいな人間性を持てたらなあ」とか「この人は人間的に尊敬できるなあ」とか思う人はいるだろうか?
もしパッと思い浮かんだとしたら、その人こそ、尊敬すべき人だ。
おそらくその人は、知識がたくさんあるとか、すごい技術を持っているとかに関係なく、まわりに対して思いやりのあふれた人なのだと思う。
そういう人間的に優れた人をきちんと尊敬することで、逆にそういう人格者からあなたは気にかけてもらえるようになるわけだ。
ちなみに、「尊敬に値しない人を見下しましょう」と言っているわけじゃない。そんなことをすると困るのはあなただ。あなたの人間性が地に落ちるからだ。
「人格者ならきっとこうするだろう」とイメージするように、あなたもどんな人に対しても一定の節度をもって接しよう。
適切な場所に住む
もし、あなたが音楽家になりたいと思ったとしたら、東京に住むだろうか?それとも、地方の田舎に住むだろうか?
もし、あなたが農業をして暮らしたいと思ったら、東京に住むだろうか?それとも、地方の田舎に住むだろうか?
そう考えると、「適切な場所」の意味がよく分かるだろう。
あなたには「こんな人生を送りたい」というイメージがあるかもしれない。そのイメージ通りの人生を送るために最適な場所というのが必ずあるはずだ。
それは、必ずしも生まれ育った故郷とは限らない。あなたが本当に最高だと思える人生を生きるためには、その人生にふさわしい場所に住もう。
以前になされた福業がある
これは、ちょっと分かりにくいかもしれないが、次のような意味だ。
「何か目標を達成したいと思ったとき、すでにその目標を達成するために必要な事がそろっていれば目標は達成されますよ」
簡単な例でいうと、車を買うことをイメージしてほしい。
車は高い買い物だからいきなりポンと買えない。だから、1年前とかからコツコツ貯金するわけだ。そして、ある一定の金額という福業が貯まっていれば、目標である車と交換できる。その1年間の貯金が福業というわけだ。
そう言えば面白い研究がある。
超一流、一流、二流の練習時間や練習内容を調査した研究だ。対象は、ピアニストやスポーツ選手など様々だったが、そこにある共通点が見つかった。
どの分野でも超一流の人は、これまでに一万時間以上の練習をしてきた人だったのだ。
言いかえると、一万時間以上の練習という福業を積んできたからこそ、目標である超一流に達したわけだ。
こんな感じで、理想の状態に達しようと思ったら、そのために必要な福業は何かをはっきりさせ、どうやったらその福業を積めるかをちゃんと計画して、着実に積んでいこう。
この事に関しては、「大きな目標を達成する人が必ず意識している計画の立て方」の記事が参考になるだろう。
正しいビジョンを持つ
これは、別の言い方をすると、人生で正しい方向性を持つということだ。
ただその時に、遊びたかったから遊び、食べたかったから食べ、寝たかったから寝るというのではダメというわけだ。
正しいビジョンがないと、僕たちは一時の感情に振り回されて一生を終えることになる。
そして、最後に「自分の一生は何だったんだろう?」と後悔するか、本当は不幸なのに「自分の人生はこれでよかったんだ」と無理矢理納得させて死んでいくのだ。
そんな人生なら虫や動物と何が違うのだろうか?
僕たちは人間だ。人間に生まれたということは、より高い幸せを目指す能力と権利があるということだ。
じゃあ、ビジョンはどうやって作ればいいか?
それを理解するには、「ビジョンの本当の意味とは?」の記事を読んでもらえれば、よく分かるはずだ。
たくさん聞き、学ぶ
あなたの人生に必要な知識を身に付けるという意味だ。知識を身に付けるには本を読んでも身につくが、やっぱりその専門の人に聞くのが一番学びになる。
だからセミナーや勉強会に行ったり、専門知識を持っている友人に積極的に聞いて、あなたの専門知識を磨こう。
技能を磨く
これは人生に必要な技能を磨くという意味だ。例えば、大工さんであれば、ノコギリの挽き方やくぎの打ち方など色んな技能がある。
自動車学校をイメージしてもらうと分かりやすいが、自動車学校で学ぶものは、大きく分けて2つだけだ。
それが、知識と技能だ。
簡単に想像できると思うが、知識と技能は別々じゃない。セットなわけだ。
だから、知識を学ぶ→やってみる→知識を学ぶ→やってみる→・・・という繰り返しが知識と技能の両方を高めてくれる。
躾を身に付ける
躾とは、あいさつ、礼儀作法、ルールみたいなもの全般を意味している。
僕たちは一人では生きていけない。だから、必ず社会という人とのつながりの中で生きていくわけだ。そうなると、「自分かそうしたいから」という理由だけでは、まかり通らないことがたくさん出てくる。
例えば、まわりがみんな挨拶する中で、あなたが「挨拶なんかめんどくさいししたくない」と思ってしなかったらどうなるだろう?
きっと、あなたはそのグループにはいられなくなるだろう。社会がそのことを許さないからだ。
裏を返せば、躾を身に付けることは、社会と調和するということだ。社会と調和するということは、あなたが社会から歓迎される人になるということだ。
そうやって僕たちは社会に受け入れてもらうことで、より幸せに生きやすくなる。
善い言葉を語る
善い言葉というと漠然としているけど、要するに「TPOに合わせて適切な言葉で話しましょう。」ということだ。
もっと、別の言い方をすると、「自分都合で好き勝手話すんじゃなくて、今この場所、この状況でどういう話し方をすればいいかを気にしなさいよ」という感じだ。
TPOと一口に言っても、
- 相手は目上か?同級生か?
- 場所は、葬式会場か?遊園地か?
- 時間は昼か?夜か?
- 相手は今聞く気があるか?ないか?
- 今話すタイミングか?後の方がいいか?
- 話す言葉は相手に役立つか?役立たないか?
などなど、色々チェックすべきところはある。そう言ったことを状況状況に合わせて、パッパと切り替えられる人が、善い言葉を話す人だ。
要するに、これは「躾を身に付ける」にも共通することだけど、相手に対する思いやりを持って行動し、言葉を話しなさいよということに尽きる。
いつも、
- これをしたら相手はどう感じるか?社会はどう感じるか?
- これを話したら相手はどう感じるか?社会はどう感じるか?
をチェックする癖をつけよう。
両親に奉仕する
これは親孝行するという意味だ。
仏教では、「両親を自分の肩に一生乗せて世話をしても、まだ親から受けた恩は返せない」という風に教えている。
特に今の日本ではなかなか受け入れ難い話だが、これが事実だ。
もし、親がいなかったときのことを考えてみよう。あなたは今のように大人になれることもなかっただろうし、むしろこの世に人間として生まれてくることもなかったかもしれない。
もしかしてバッタになっていて、カマキリに食べられる一生だった可能性もあるわけだ。そう考えると、両親から受けた恩はどれだけ大きいか感じられるだろう。
そして何より、親はあなたの奉仕を誰よりも喜んでくれる。例えそう見えなくてもだ。そして、奉仕するあなたも幸せになる。
妻子を愛護する
親に恩返ししたら、次は、「妻や子供の面倒を看ましょう」ということだ。もしあなたが女性なら、「旦那と子供の面倒をみる」と理解すればいい。
混乱のない仕事をする
これは、「努力して真剣に、時間をきっちり管理して、滞らせることなく、全力で行う仕事」という意味だ。裏を返せば「次のような仕事はダメですよ」ということになる。
- テレビを見たり、人と話しながらダラダラ仕事する
- 全力でできるのに手抜きする
- 時間を意識せず漫然と仕事した結果、期限に遅れる
つまり、簡単にまとめると、「その時やるべきことを集中して全力でこなしなさい」ということだ。
布施をする
布施とは簡単に言うと「あげる」ということだ。そう言うと、「自分にはあげるものは何もない」と言う人がいる。でも、それは違う。
「あげる」と言っても、何もお金や物をあげることだけを意味しない。
例えば
- 重いものを支えてあげることかもしれない
- 役立つ情報を教えてあげることかも知れない
- 笑顔で微笑みかけてあげることかも知れない
そう考えると、あなたがあげられるものは、結構色々あるわけだ。
そして、何より「まわりに何かしてあげよう」という気持ちが大切だ。そういう気持ちを持つだけで幸せになっていることに気づくはずだ。
そして、そういう人を社会は放っておかない。そうやって社会を味方につけることで、あなたはさらに大きな幸せを受け取ることができる。
ルールに沿った生き方をする
この世の中には次の2つのルールがある。
- 道徳(世の中の根本的な真理)
- 法律(社会的なルール)
道徳が、世の中のルールの基礎になるもので、全世界・全生命共通のルールだ。
例えば、「殺してはいけない」というルールが仏教にはあるが、これは全世界・全生命に共通して言えることだ。だから道徳になる。
そして、ある地域で、ある条件の下で適用されるルールが法律だ。法律はその社会特有のルールで、例えば日本の法律とアメリカの法律は違う。
この2つのルールを守って生きることが、ここで伝えたいことだ。この2つのルールを守って生きている限り、あなたは世の中と衝突することなく、矛盾なくスイスイ生きていける。
親族の面倒をみる
昔を思い出してほしい。
昔は今のような核家族でなく、祖父母やときには親族も一緒な家に住むことも珍しくなかった。
例えば、僕の実家では、祖父母の時代まで親族も一緒に暮らしていたそうだ。今でこそ別々の家になったが、歩いて数分のところに親族の家が何軒かある。そうやっていつでも連携がとれる状態になっているわけだ。
そう言えば戦国時代の武士もそうだ。大河ドラマを見ると、武将やその親戚が一つの家で生活しているシーンがよく出てくる。
そんな感じで、もともと日本でも家族や親せきが一緒に住むということは、特別不思議なことでもなかった。お釈迦さまが生きていた2500年前のインドでもきっとそうだったのだろう。
親族の面倒をみるということは、親族が一丸となって助け合う環境を作るということだ。そうすれば、虐待や育児ストレスや夫婦関係の悪化などの核家族によくある問題も大分解消されるはずだ。
非難されない生活をする
これは、人から非難されるような行為をやめて、世の中に役立つ生き方をするという意味だ。
例えば、仏教で五戒と呼ばれる、次の5つを守るのがまず一つ。
- 殺さないこと
- 盗まないこと
- 不倫しないこと
- 嘘をつかないこと
- 酒や麻薬をとらないこと
その他、ボランティア活動したり、公共の仕事をしたり、町おこし活動をしたりといった、みんなの役に立つ活動に協力することもこの項目に含まれる。(利行)
悪行為を控える
悪行為とは、人に迷惑をかける行為のことだ。その中でも、さっき紹介した五戒はとくに重要なので、ぜひ覚えておいてほしい。
それで、五戒をよく見ると、最初の4つは「相手がいる」ことが前提になっていることに気づくだろう。例えば、「殺す」という行為は相手(生き物)がいないとできない。
- 殺さないこと
- 盗まないこと
- 不倫しないこと
- 嘘をつかないこと
この項目で言っている悪行為を控えるとは、この4つは最低限守るということだ。
酒を控える
そして、次に五戒の5つ目である「酒や麻薬を控える」ことだ。
現代人の我々の感覚だと、酒を飲むことは幸せにつながるイメージもあるかもしれない。実際僕も学生のころはそう思っていた。
じゃあ、なぜ酒や麻薬をとると不幸になるのか?
その質問に現代科学が答えてくれる。
というのは、酒や麻薬をとると、脳細胞が死ぬからだ。酒や麻薬依存症の人の脳画像を見ると脳が委縮してスカスカになっていることが多い。
じゃあ、何で脳細胞が死ぬとダメなのか?
それは、僕たちの幸せの感情は大脳の力に依存しているからだ。
大脳は見たり、聞いたり、考えたり、人を思いやったりする僕たちが人間であるための脳だ。僕たちがより高い幸せ感を感じれるのも大脳のおかげだ。
もし、その大脳がやられてしまったら・・・
僕たちは、おそらく動物や爬虫類に近づくだろう。想像通り、動物や爬虫類には道徳心を高められる力がない。それは大脳の差なわけだ。
今毎日酒を飲んでいた大学生のころを振りかえると、どれだけの脳細胞を殺してしまったのかと思ってゾッとする。
やるべき事において怠けない
ここで言う「やるべき事」というのは、「幸せになるために必要なこと」という意味だ。
具体的には次の2段階で考えると分かりやすい。
- 善い行いを怠けずにすること(基礎づくり)
- 心を育てること(建物を立てる)
善い行いをするというのが、家でいうとコンクリートの基礎みたいなイメージだ。この基礎がしっかりしていないと、当然その上に建物を建てられない。
で、ちゃんと基礎ができた上で、心を育てるわけだ。
例えば、日常的に盗みをしながら「私は人格者になります」と言っても、それはムリなのは簡単に想像できるだろう。
じゃあ、「善い行い」って何だろう?
その事も説明しだすと、また長―くなってしまうので、簡単にまとめると・・・
悪い行い
- 欲でする行い
- 怒りでする行い
- 無知でする行い
善い行い
- 無欲でする行い
- 無怒でする行い
- 知恵でする行い
という感じだ。悪い行いと善い行いは逆なので、セットで覚えよう。
とは言っても、これだけだとまだまだ分かりづらいと思うので、詳しくは「ネガティブの本当の意味とポジティブの本当の意味」の記事が参考にしてほしい。
尊敬する
これは、人・物・仕事など物事の価値をよく理解して、それにふさわしい援助をするという意味がある。
例えば、尊敬すべき人の代表は両親だ。だから、両親が困っていたら助けたり、感謝の気持ちを伝えたり、両親の立場を立てたり、など適切な尊敬を示すわけだ。
この世の中は全て関係性でなりなっている。だから、もしあなたが尊敬ない態度をとるなら、あなたは世の中から「尊敬を配れない人」として見られることになる。
例えば、ある一人っ子の話がある。
その彼女は一人っ子だからずっと小さいころから欲しいものは与えられて育ってきた。もちろん、兄弟がいないから、上の兄弟に気を使うことも、下の兄弟を守ってあげることも経験しなかった。
結局その彼女は社会に出て困ることになる。というのも、その彼女にとって全ての人は対等であり友達であり、人を尊敬するという経験がなかったからだ。
だから、彼女は社会人の上司から「馴れ馴れしい人」「尊敬がない人」と思われ、一線を引かれてしまったという話だ。
謙虚になる
これも、そんなに難しくないと思う。
「自分は偉いんだ」「自分は何でも知っているんだ」という人は世の中に歓迎されない。
補足すると、たいてい自分のエゴでしたいと思ったことは、世の中に歓迎されないことだ。世の中に歓迎されないということは、当然その人に幸せも、尊敬も集まる事はない。
足るを知る
これは、とても重要だ。というのも、多くの場合、足るを知らないがために不幸になるからだ。
たいてい僕たちは、「自分にないもの」に目を向ける。
- もっとお金があったら、もっといい車を変えるのに
- 友達は、自分よりいいバッグを持っている
- いつも、ご飯とみそ汁ばっかで嫌だな~
- 30歳にもなって、何でこんな貧乏しなきゃいけないんだ
- 友達はもう課長なのに、自分はまだ係長・・・
こんな感じで、僕たちの心は常に「もっと!もっと!」と言っているわけだ。そして、その事が僕たちを苦しめている。
そうじゃなくて、逆に、「自分のあるもの」に目を向けるというのが、足るを知るということだ。まわりと比べてどうこうじゃない。
よく考えて欲しい。
白ご飯一杯でも食べられたとしたら、それはすごくありがたいことなわけだ。というのも、一杯の白ご飯を作るために、どれだけの時間と労力がかかることか。
どんな食材でもいい。もし一人で作ろうと思ったら、それができる前に僕たちは餓死してしまう。
それくらい、眼の前にポンと食材があるということはありがたいことなわけだ。そう考えると、まわりの人がステーキを食べてようが、パスタを食べてようが、問題じゃない。
足るを知るに関して、もっと詳しく知りたい場合は、「幸せとは何か?幸せの本当の意味を探る」を参考に。
感謝する
感謝が幸せにつながることは言うまでもないだろう。感謝はする方も、される方も幸せにしてくれる魔法の行為だ。
上の「足るを知る」にも関係しているが、僕たちは足るを知らない時、つまり、「ないもの」に目を向けているとき、ものごとに感謝できない。
さっき上で話した、「ないもの」一覧をもう一度思い出してほしい。とても、まわりに感謝できる状態じゃないのは、一目瞭然だ。
僕たちは、自分が「満ち足りている」と感じているときに、初めて感謝できるようになっている。
法を聞く機会を求める
ここで言う「法」とは、世の中の因果関係という意味だ。例えば、乾いた紙に火を近づけたら紙が燃える。これも世の中の因果関係の一つだ。
じゃあ世の中の因果関係がなぜ必要か?
それは、世の中の因果関係をよく理解していないと、絶対に幸せになれないからだ。
例えば、人の悪口を言うという原因によって、幸せという結果が得られると思っている人は、絶対に幸せになれない。というのも、悪口という原因は、不幸という結果しか生まないからだ。
だから、法を聞く機会を求めるというのは「幸せになる因果関係をよく聞いて学びなさい」という意味になる。
実際、今僕がお話していることは、まさしく幸せの原因なわけで、それを聞いているあなたは今まさに「法を聞く機会を求める」実践をしているということだ。
忍耐する
忍耐とは、普通の意味とちょっと違うので、注意が必要だ。ここでの意味は、「世の中の色んな変化に対して動じない」という意味だ。
例えば、あなたには次のような経験はないだろうか?
- 隣でちょっと友達同士が話をしていると、「何の話してるの?」と、つい首をつっこみたくなる。
- 本当は仕事をしなきゃいけないのに、寒いとつい、仕事をサボりたくなる。
- 人から文句を言われたら、つい物に当たってしまう。物は悪くないのに。
- 自分が大事にしていたものを無くすと、1日ブルーになる。
- 自分で決めた予定を、誰も見ていないのをいいことに、つい先延ばしにしてしまう。
- 勉強しなきゃいけないのに、ついテレビを見てしまう。
僕にもこんな経験がある。読んでいて胸が痛い。
こんな感じで、僕たちは、まわりの状況に振り回されながら生きているわけだ。でもたぶんあなたは気づいていると思う。まわりの状況に振り回される人生の先に幸せな状態がないことを。
世の中で一流と呼ばれる人は、徹底的にその専門分野だけに注力する。
例え、雨であれ晴れであれ、暑かろうと寒かろうと、友達から誘われようと誘われまいと、体調が良かれ悪かれ、その時の気分が優れようと優れまいと、徹底的に注力するわけだ。
そうやって、さっきも話したけど、一万時間の壁を乗り越えた人が一流になる。
これが忍耐だ。
だから嫌なことを我慢するという意味じゃない。「目指す目標を達成すると決めたら、その道に専念する」という意味だ。
素直に聞く
僕たちは自分のことは誰よりも知っていると思っている。だから人に注意されたとき、たいていの場合「面白くない」と感じるわけだ。
「何であんたにそんなこと言われなきゃいけないの?私のこと何も知らないくせに?私にも事情があるわけで・・・」みたいなことを心中でぶつぶつつぶやくわけだ。
でも、実際はどうだろう?
あなたも経験があると思うが、まわりの方が正しかったということは以外と多い。
僕は昔、ある社長に「君の礼儀はなっていない」と叱責されたことがある。その時は「胸糞悪いな!僕は僕でうまくいっているし。礼儀もちゃんとしてるだろ!?」と心の中で反論していた。でも、「もしかして?」と思い、その社長の言う通りに、礼儀を直してみた。
僕は今でもそのやり方で社会生活を送っていて、それなりにうまく行っている。だから以前のやり方に戻そうとは思わない。とにかく、僕たちは「自分は何も分かってない」ということをよく分かっておくべきだ。
そうすれば、まわりの人から新しい知恵や知識を取り入れられる。どんどん成長できる。
沙門と付き合う
沙門(しゃもん)というのは、お釈迦様の教えを実践している出家修行者のことだ。
俗に「お坊さん」と言ってもいいかもしれないけど、日本のお坊さんはあまり修行をしているイメージがないし、妻子もいたりして、どちらかというと僕たち一般人に近い。
だから、あえて直訳語の「沙門」という言葉を使った。「なぜ沙門と付き合うのがいいのか?」その理由は簡単だ。
答えを言う前に、ちょっとイメージして欲しい。あなたは税金について相談したいと思っているとしよう。そのとき、次の誰に相談するだろうか?
- 陶芸家
- 大工
- 税理士
- スポーツ選手
もし、あなたが僕と同じ感覚なら、迷わず「税理士」を選んだはずだ。なぜなら税理士は税金のプロだからだ。
沙門と付き合うのもこれと同じことだ。
沙門は幸せ道のプロだ。悩みや怒りが全くない状態を目指して日々進歩を続けている人たちだ。だからもし、あなたが幸せになりたいなら当然付き合った方がいい人たちということだ。
ただ、沙門というとかなり限られた存在なので、「より幸せになるために、仏教や心理学などを通して、自分を向上させている人」と拡大解釈してもいいだろう。
法について話しあう
さっきは法を聞く機会を求めるというテーマについて話した。
でも、それだけでは法を理解したことにならない。というのも、僕たちは実際聞いただけで分かった気になっていることが意外と多いからだ。
例えば、授業とかで先生の話を聞いていて、その場は分かったつもりになっている。でも、その後先生に指名されて、「じゃ説明して」と言われる。その瞬間に「あっ自分説明できない・・・どうしよう。」と思うわけだ。
あなたにもこんな経験ないだろうか?
自分が理解しているかどうかの判断は、自分が説明できるかどうかで分かる。だからこそ、学んだ幸せの因果法則を、仲間と話し合い、自分の理解を深めたり間違いを修正することは絶対に必要になる。
五欲を抑制する
また専門用語が出てきたが、そんなに難しくないので安心して欲しい。五欲というのは、五感からの情報に執着することだ。
具体的には
- 見たものに執着する
- 聞いたものに執着する
- 嗅いだものに執着する
- 味わったものに執着する
- 触れたものに執着する
ということだ。
結局つまるところ、僕たちが辛くなるのは、欲が満たされない時だ。よく自分の心をチェックして欲しい。必ずそうだ。苦しみの裏には必ず欲がある。
例えば、好きな服を買ってうれしいのをイメージして欲しい。
これは一見、欲が幸せを運んできてくれたように見える。でも、よーく観察すると違うことが分かる。というもの、好きな服を買って一番うれしいのは、好きなものを手に入れたことで「欲しい」という欲が消えた瞬間だからだ。
放っておくと、また別の欲しい服が出てきて、またモンモンとすることになる。つまり、欲しいものがない辛い状態が生まれるわけだ。
詳しくは、「幸せとは何か?幸せの本当の意味を探る」でも説明しているけど、欲は少なければ少ない方が幸せになりやすい。その意味が気になる場合は記事を読んでほしい。
不淫を実践する
不淫とは、要は性行為をしないということである。
今「えっ?」と思ったかもしれない。
ただ、あくまでこれは不特定多数の人とむやみやたらに性行為しないというくらいの意味で考えても問題ない。
言いかえると、彼女や奥さんとの性行為はとくに問題じゃないということだ。そういう決まった人との性行為は誰から非難されることもないし、むしろお互い関係性をよくすることもある。
だから、むやみやたらな性行為はやめた方がいい。とくに相手に付き合っている人や配偶者がいる場合はなおさらだ。
聖なる真理を理解する
聖なる真理とは、何度か出てきた法と同じような意味がある。要するに、この世の中の因果関係のことだ。
前に、法を話し合って理解するというテーマを話した。ここでは、瞑想修行することで、因果関係を体験的に理解するということだ。
体験的理解は何より確実だ。
例えば、お湯の熱さを理解するのに、本を100冊読んでも、100回人の話を聞いても、おそらく理解できないだろう。
でも、一回お湯で火傷すれば、その理解は確実なわけだ。その人は確実にお湯の熱さを理解していると言えるだろう。
専門的な話になるが、瞑想することで脳の前頭葉が発達することが分かっている。
前頭葉は理性的に考えたり人を思いやったりするときに使われる脳の部分で、ここが発達することで、これまで無意識に処理していた情報を意識的に処理できるようになる。
例えば、あなたは呼吸をどれだけ意識した事があるだろうか?呼吸の出入りはもちろん、息が今体のどの部分に触れているかなんて意識した事があるだろうか?
瞑想を通して、そういう普段意識できていない現象をありありと意識できるようになってくる。要するに、世の中で起きている現象を観察する力がどんどん増してくるわけだ。
そうやって、今まで知識だけだった法の内容を、体験的に理解していくことになる。この歩みは、次のテーマである涅槃というゴールに到着するまで続く。
涅槃を経験する
瞑想を実践するということは、科学的な言い方をすると脳を開発するということだ。
筋トレすれば、ほとんど際限なく筋肉がついていくように、脳も瞑想のたびにどんどん変化していく。そうやって、最終的に涅槃という境地にたどり着く。涅槃は苦しみや悩みが全くなくなった境地と言われている。
個人的な話になるが、僕もほとんど毎日瞑想を続けているけど涅槃まではまだまだだ。でも体の感覚や世の中の現象のとらえ方が変わってきているのは実感している。そして、この変化はどんどん進展していく感じはよく分かる。
不動の心を得る
瞑想を実践していくと、心が穏やかになっていき、世の中の現象にあまり心を揺さぶられなくなる。
例えば、文句や暴言を吐かれても、心が高揚したりドキドキしたりしにくくなっていく。
これは、我慢して心の高揚をおさえているというより、自然体で落ち着いている感じだ。むしろ、相手の暴言に対して、暴言で返そうとしても、その悪しきエネルギーが沸いてこない感じだ。
このように世の中の現象に振り回されずにいるということは、心は自由でストレスがないということだ。
憂いない心を得る
憂いというのは、怒ったり悲しんだりする心のことだ。
これまでの流れで分かると思うが、瞑想すれば脳の理性的な部分が発達するので、突発的な感情に悩まされなくなっていく。
汚れない心を得る
汚れない心というのは、
- 欲ない→献身的
- 怒りない→思いやりある
- 無知→知恵がよく働く(賢い)
の3つの要素が心にある状態だ。献身的、思いやり、知恵というのはたいていセットで心に現れる。
ちなみに悪知恵というのは、仏教的に言うと無知に分類される。というのも、悪知恵でその場うまくやっているように見える人も、世の中の因果関係に反したことをやっていれば結局、悪い結果を受け取ることになるからである。
平安な心を得る
そして、最後は平安な心だ。
刺激的な生活が幸せだと言う人もいるけど、刺激を受けることで僕たちはかなりのストレスを感じている。それを別の刺激に注意を向けることで、ストレスを覆い隠すわけだ。
それは、頭が痛いときに、足を棒でたたいて、頭の痛みをごまかしているようなものだ。そんなことをいくらやっても体から痛みが消えることはないし、むしろどんどん痛みは増えていく。
はっきり言おう。
幸せとは「悩みがない状態」だ。自分の中に悩みがみじんもなければ、あなたは絶対的な幸せなわけだ。健康とは「病気がない状態」を示すように。
まとめ
以上で、幸せになる方法38つを全部説明した。振り返ってどうだっただろうか?
仏教の教えなので、仏教的な表現も多く見られたが、どれも実践してみるとその効果は分かるだろう。
このリストは本当に僕たちの幸せ道の指針となるものだ。あなたの環境に合わせて実践しやすいものから順番にやってみて欲しい。
あなたの環境認識の仕方が変わったり、あなたを取り巻く環境そのものが変わるのを感じられるだろう。